四国がんセンター

名誉院長エッセイ<季刊>患者の言い分、医者の言い分

お札が一杯!:2014年10月号

こりゃまた大きなお札ですねぇ!

これから術後の回診です。「おお、○○さん、こりゃまた大きなお札ですねぇ」『ほうよ、親戚のもんが持ってきてくれたんよ』「きっとごりやくがありますよ」手術のあとは、毎日3から4回は患者さんの枕元へ行っているのですが、その枕元にお札がおいてあることがあります。それは木の板であったり、紙であったりするのですが、ご家族かご親戚の方が神社や寺へお願いに行くのでしょうね。とてつもなく大きなお札があるかと思えば、しおりになるくらいの大きさのものまでありますが、大きさにかかわらず人を思いやる気持ちが伝わってきます。

実は私も

実は、私も典型的な日本人のたぐいで(*^_^*)、初詣は必ず家族と行きますし、厄年の厄払い、還暦の祝いなどなど神社仏閣とは縁が切れません。全くの”困ったときの神頼み”なのですが(^_^;)。この勝手な考えは子どもの頃から身にしみついているようで、家族旅行の時には、必ずと言っていいくらいに、行った先の神社仏閣をたずねてお守りを買って帰ります。我が家には八百万の神様や仏様が同居していることになりますね。けんかせねば良いのですが…

こんなところにもお札が…

私も含めて、ある程度年齢を重ねた方ならおわかりと思いますが、一昔前の日本の住まいの中はお札だらけでしたね。門柱や門の鴨居には必ずと言っていいくらいに何かのお札が貼ってありました。今では、NHKの受信料を支払っている証拠のしるし?くらいでしょうか(^_^;)。門を入ると、玄関の鴨居にもお札が…居間、応接間、台所、お風呂場の入り口、そうそう、竈にも貼ってありましたね。それぞれに意味があったのでしょうが、なにせその頃は子どもだったせいか、お札が一杯貼ってあって何か言葉が書いてあったことは覚えているのですが、何が書いてあったのかはわかりませんでした。あ、そうそう、一つは覚えていますよ。今はほとんどなくなった木の雨戸。夜になると、それと台風の時には雨戸を閉めていましたね。閉めると、なんと内側には何枚もお札が貼ってありました。確か、「妙法蓮華経」か「南無妙法蓮華経」だったと思います…あやふやだなあ。うーむ、これでは覚えていると言えませんかね。

大切にしなくては

実を言うと、外科の力を妄信?していた若い頃は、患者さんの枕もとにお札があるといい気持ちはしませんでした。手術でがんを切り取ったのだから、よくなったのは外科医の力だろうってね。でも、思うように行かなかったこともありました。その時にはお札へ込められた思いも叶わなかったわけでしょうが、幾度となくがんの再発という冷徹な現実を目の当たりにしてきました。経験と年齢を重ねていくうちに、自分のお札への思いもだんだんと変わってきました。
医療は、ある意味自然に対抗するものです。医療者は、医学という教育、特に私たち外科医は、手術をいう特殊な教育を受けてきています。それをもって自然の成り行きにあらがっていると言えるかも知れませんね。一方で、患者さんや家族の方々は自然という対抗しがたい力に、お札に込めた気持ちで立ち向かっているのですね。人知の域を超えた何かにすがりたいという気持ちは、何人にも共通するものなんでしょう…これは、日本人としての人を思う心であり、日本の文化なんだなとこの頃思うようになりました。大切にしなくては。

院長 栗田 啓