四国がんセンター

名誉院長エッセイ<季刊>患者の言い分、医者の言い分

先生はいつ医者になろうと思うたんぞな?:2012年7月号

こんな質問を外来で受けることがあります。「シュバイツアー博士の伝記を読んで感激して医者になろうと思ったんですよ。はじめは、博士のように僻地(失礼な言い方だったらごめんなさい)に行って医療をしたいと思っとったけどね。どういうわけかここで外科医をしとるんよ。」

はじめは、昆虫学者になりたかった…

将来の仕事を考えはじめたのは小学5年生の頃だったように記憶しています。感性は小学校の頃の環境に左右されるのだそうです。私は、ちょうどその頃に小学校の図書館で、ファーブル昆虫記にであいました。それはもうおもしろくておもしろくて、毎日むさぼるように読みました。また、当時の小学校では、たしか理科の中に昆虫採集の授業があったように記憶しています。最初はもっぱら標本作りに熱中していて、蝶々なら羽を広げた(確か『展翅』と言っていたように記憶しています)姿で並べて鱗粉の美しさに感動し、甲虫なら6本の脚をきちんと延ばした姿で並べて、鈍く光る金属のような美しさに感動していました。同じ種類を何匹も集めるのではなく、1種類1から2匹です。そうしないと、狭い家の中が虫の標本で埋まってしまいますからね。あげくのはてには、蝶の標本をピンで天井や壁に貼り付けて楽しんでいました。自分では、美的センスに??酔っていたのですが、今になって二人の妹がこぞって言うのには、「すごこう不気味で、なんちゅう兄を持ったんじゃろうか。」と日々、自分たちの身の上を嘆いていたそうです…(-_-;)。

こんどは育ててみよう!

あるとき、アカタテハという蝶の幼虫を見つけてきました。(実は当時、ヒオドシチョウだと思い込んでいたのですが、あらためて調べてみると、どうやら間違いだったようです)昔は、どこにでもいたありふれた蝶でしたが、昨今、ほとんど見なくなってしまいましたね。イラクサという食草(蝶は食べる草が種類によって違うのです)とともに飼い始めました。当時、暗くしておけばさなぎになりやすいと聞いていたので、大きくなった幼虫をマッチ箱(昔のマッチ箱ですから今のよりも大きいです)に入れておいたのです。なるほどさなぎになってくれました。しめしめ…しばらくたって、かさこそと音がするのです!開けてみたところ、さなぎから羽化していました。ところが、せまいマッチ箱の中では羽を伸ばせなくて、いびつな格好で固まっていたのです。もちろん飛ぶことなんてできません。自責の念にかられました。なんということをしたのだと、すぐに自然に返してやらなくてはと思い、近くの野原へ離してやりました。ところが、あとで思ったのです。飛べない蝶は、蟻の餌食にしかならないじゃあないか!覆水盆に返らず。またまた、自責の念にかられました。
その時を境に、昆虫採集はやめました。

シュバイツアー博士との巡り会いです

そのころ、シュバイツアー博士の伝記に出会ったのです。キリスト教の布教という使命もあったにせよ。アフリカの奥地で身を賭して病気と闘う、「これだ!自分は医者になって、医療に恵まれない人たちを助けなくては!」きっかけはこんなことでした。今は、初心とはかけ離れた自分ですが、がんと闘っていることで、曲がりなりにも小学生のころの思いを貫いていると思っています。
でも、もし、出会うのがファーブルとシュバイツァーが逆だったなら、今頃、昆虫を追いかけて、野山を駆け巡る自分がどこかにいるのでしょうね。ん、それもいいかも(*^_^*)

栗田 啓