四国がんセンター

名誉院長エッセイ<季刊>患者の言い分、医者の言い分

優雅な生活だなあ:2016年1月号

先生、来週からカナダへいくんよ…

おばあちゃん、年に何回もお友達と旅行に出かけます。九州あり、北海道あり、東北あり、海外へも時々出かけます。『来週は山陰へ蟹を食べに行くんよ』「そんなにいろんなところへ行っていたらお金がかかってたいへんでしょう」『保険金が毎月たくさんおりるんで使わんといかんのよ』「えっ?…」なんでも、若い頃には商売が順調だったらしく、おつきあいで生命保険にたくさん入っていたのが、今になって払い戻されているらしいのです。額を聞いて驚いたのですが…皆さんには内緒です(*^_^*)。

もうひとりいます!

まだいらっしゃいますよ。この方、やはりバブルの頃に生命保険をたくさんかけていて、今その払戻金をどうやって使おうかと思案しているのだそうです。この方は、仲の良い雀友と日本中を駆け巡っています。その間に、外来へ来る感覚ですね(ちょっとおおげさかな…)。外来では、波照間島へ行って釣りが面白かったとか、芋焼酎がうまかったとか、うらやましい話で持ちきりです。

私も海外へ

われわれも出張でいろんなところへ出かけますが、仕事ありきなので残念ながら優雅なものではありません。ところで、私がアメリカへ”行きかけた”お話しをします。3歳のときのことです―未遂に終わりましたが…
以前書いたと思いますが、毘沙門坂のロープウェイ乗り場の前に私の生家がありました。まだ、あの坂も舗装されていませんでしたが、車もほとんど通らず、砂ぼこりが舞った記憶はありませんね。もっとも、各家庭がしょっちゅう道路に水撒きをしていたので、そのおかげかもしれません。子供の頃の遊び場はと言えば、お城山と、家の前に会った”ドレメの坂”でした(なぜ、そう言っていたのかわかりません。坂の上に学校があったような。。今の東雲中学・高等学校の前身でしょうか)。そこを三輪車で猛スピードで?こいでおりるのが楽しかったのです。こけるのは日常茶飯事でしたが、一度は上唇を切って、日赤で縫ってもらった記憶があります。けっこう血が出たなあ…今でも名残があります。当時の一番の遠出は、三越の前の電停のところまで三輪車をこいでいった(らしい)ことです。そのことは覚えていないのですが、後日の両親の話では、三越の前で、迷子になって泣いていたところを保護されたらしいのです。たまたま近所の人がいて、「おう、栗田さんとこの坊主じゃ」のひと言で大事にはならなかったとのこと。警察官が自宅まで連れてきてくれたそうですが、泣きながら「アメリカへ行くんじゃ!」と言っていたとのこと。日本広しといえども、三輪車でアメリカ行きをトライする輩はほかにはいないでしょうね。でも、ああ、恥ずかし…

でも、われわれはと言えば…

話を元に戻しましょう。お二人は、バブルの頃にお仕事をしていて、儲かったお金を未来へ”投資”していたのですね。先見の明があったんだなあ!(^ ^)!
今、年金額が減らされる傾向にありますね。また、支給開始年齢も引き上げられています。政府は一億総活躍社会を作るなんて言っていますが、裏には働く年齢を引き上げて、年金への支出を抑えて税金収入を増やしたい意図が見え隠れしますね。ひねた見方かな(^_^;)
でも、働くことを生き甲斐にしている方は確かに多いと思います。私が医者になった40年前よりははるかに多いですね。
二人に一人ががんになる社会です。この気概をくじかないためにも私たちがんセンターのスタッフは頑張っているのです。皆さん、頑張りましょう!そして、われわれが応援しています。

最後に

曝露しましょう!お二人の共通点は、相方は連れて行かない点です(*^_^*)

院長 栗田 啓